「ルキナ、この後の予定って空いてる?」
僕がルキナに声をかけたのは、昼食を終えた彼女が空を見上げ、小さくため息をついた頃だった。彼女のそんな様子を見るのは、残念ながら近頃ではあまり珍しいことじゃない。
「アズール。私はこれからフレデリクさんと訓練をする予定ですが、何か?」
「そうなの? じゃあそれはお休みで。ちょっと街まで付き合ってよ」
「無茶を言わないで下さい。もうフレデリクさんにお願いしてあるんです。だいたい何の用があるんですか?」
「何って、もちろんデートだよ」
僕があっけらかんと言ってのけると、ルキナは理解しがたいと言外に含んだ驚きの声をあげた。
「デ、デート!? そんな遊びのためにフレデリクさんに迷惑はかけられません! それに今はそんな時では……」
「いいからいいから! クロムさんにはちゃんと了解をもらってるし、買いたい物もあるからさ。ね?」
「お父様が?」
いぶかしげな目線を僕に向けつつ、ルキナが意外そうにしたので僕は肯定するようにうなずいた。彼女の性質上、父の名を出せばおおよそ事はうまく運ぶと知っていたのだ。
自分が誘っただけではちっとも乗ってくれないのに、と思うと多少面白くないだとか悔しいと思う気持ちもあるにはあったけど、今はひとまず置いておくことにした。意地を張るより彼女の気を引くことのほうが重要だ。
「そうだよ、だから問題なし。少ししたら君の天幕に迎えに行くから準備しておいてね! あ、フレデリクさんには僕から伝えておくから」
「ち、ちょっとアズール!?」
困惑するルキナの声を背に、僕はあいさつ代わりにひらりと片手を振って駆け出した。これからの時間を思うと心が躍るようだ。のんびりなんてしていられない。
連れ立って陣を出た頃はまだ納得しきれない様子だったルキナも、街に着いて賑わう市の中に入れば心を動かされたようだった。その証拠に、初めはどこか険しい表情をしていたのが少しほぐれて、今は彼女の気を引く物たちを眺めるので忙しそうだ。
そろそろ頃合いかなと思い、僕はそばの露店を眺める彼女に声をかけた。
「あのさ、今度母さんに何かプレゼントしたいんだけど、ルキナは何が良いと思う?」
「それは良いですね。オリヴィエさんは踊り子ですし……ああ、こういうのはいかがでしょう?」
「……えーっと……ルキナ、これは……仮面?」
ルキナが良い物を見つけたと言うように僕に差し出したのは、ジェロームが着用しているような仮面だ。彼のものと大きく異なるのは、まるで秘境の奥地にしか存在しなさそうなごてごてしい蝶みたいな形をしている点と、陽光の下で対面すれば見た者の目をしばらくチカチカさせそうなくらい、どこもかしこもまばゆい石たちで飾り立てられている点だった。
僕はこれを着けているジェロームを想像して吹き出しそうになり、同じく母さんを想像するといたたまれない気持ちになった。
「あ、相変わらず……なんて言うか、そう、独創的だねルキナ! で、でも母さんはすごく恥ずかしがり屋だから、ちょっとそれは着けられないんじゃないかなー……」
「そうですか? だからこそ、仮面で顔を隠せばマシなのではと思ったのですが……」
そう言うとルキナは次の候補を探しだした。自分のことのように熱心に取り組んでくれる姿に嬉しさを覚えつつ、それと同時に僕は彼女の常識を超えたハイセンスをたっぷり堪能させてもらうこととなった。敗因は声をかけた時にそばの店の品揃えをよく見ていなかったことと、彼女のセンスを甘くみていたことだ。その後、僕が「べ、別の店も見てみたいな!」と声をあげるのにそう時間はかからなかった。
今度は僕がちゃんと店を見てルキナを呼び止める。別の露店を眺めていた彼女はすぐにこちらに来てくれた。
「装飾品の店ですか。かわいらしいですね」
「ルキナもそう思う? 良かったぁ」
「? アズール?」
「いいんだ、こっちの話。うーん……あ、こんな髪飾りはどう思う?」
しばらくの間並んだ装飾品たちを眺めて、僕はその中のひとつを手にとった。華やかというより可憐な雰囲気の白い花びらをかたどった髪留めだ。
「花の髪飾りですか。女の子らしくてかわいいですね。まるで本物みたい……って、アズール? 私の髪に合わせても意味が無いのでは?」
彼女の深い青に添えてみると、思った通りよく映えた。不思議そうな彼女を前にして、自分の見立てに僕は満足する。
「いや、意味はあったよ。じゃあこれにしようかな」
会計を済ませた僕は、その後もルキナと一緒にしばらく市を見て回った後、少し休もうと彼女に声をかけて街の噴水広場へと移動したのだった。
二人並んで広場のベンチに腰を降ろす。噴水の音が耳に心地いい。
「けっこう歩いたね。ルキナ、疲れてない?」
「私は大丈夫です。アズールは?」
「平気。君みたいな素敵な女の子と一緒だと、疲れなんて感じないよ」
「そ、そうですか」
うつむいてしまったルキナの頬が少し赤くて、その愛らしさに胸がきゅんとときめく。普段は冷静な彼女だが、こういうことは言われ慣れていないらしい。たまに見せる戸惑いやウブな反応がかわいくて、見るほどにどんどん好きになる気がする。
幸せな時間にひたっていた僕は、時と共に肝心なことを忘れかけているのを思い出した。
「そうそう。ルキナ、はい」
「え? アズール、これはお母様に贈るものでは?」
僕の差し出したものを受け取ったルキナが困惑するのも無理はない。彼女に手渡したそれは、紛れもなくさっき購入した花の髪飾りだった。
どうしていいかわからなさそうな彼女に、僕は事の裏側を明かす。
「本当はルキナに贈るつもりだったんだ。一緒に探してもらったのも、君の好みに合うものを贈りたいと思って。せっかく色々考えてくれたのにごめんね」
僕の言葉を受けたルキナはしばらく髪飾りを眺めていた。それからおもむろに持ち上げると、濃紺のきれいなその髪にそっと着けて僕を見た。控えめなその視線が僕の心を射抜いて、どきりと高鳴る。顔が赤くなっていなければいいけど。
「似合いますか?」
「すごく……似合うよ、ルキナ。とってもかわいい」
「あ、ありがとう……アズール」
心からの賛辞を贈ると、ルキナの頬は赤く染まり、そして嬉しそうにほころんだ。そうだ、僕が見たかったのはこの笑顔だ。
「ルキナ。今の君、すごく素敵な笑顔だね。僕とのデート、楽しんでもらえたってことかな?」
「そう、ですね。最初は乗り気ではなかったのですが……今は来て良かったと思います。その、すごく……楽しかったから」
「そっか。それを聞いて安心したよ。最近の君はなんだかずっと気を張ってて、ひどく疲れていたようだったから」
僕の言葉を聞いて、ルキナはハッとしたようだった。
「まさか、今日私を連れ出したのは私を元気づけるため……だったのですか?」
僕はそれには答えず、代わりににこりと微笑んだ。
「君を独り占めできて、すごく楽しかった。ずっとこの時間が続けばいいなって思った。なのに、もう空は夕暮れでさ。全然、足りないね」
見上げた空は過ぎた時を色鮮やかに示している。仲間や家族のもとに戻れば、彼女は『みんなのルキナ』だ。そう思うと、無性に名残惜しくなる。彼女と過ごすたび、彼女が僕に笑うたび、僕はわがままになっていく気がした。
「私も……」
遠慮がちにルキナが口を開く。
「私も、思いました。市場の露店を一緒に眺めながら、もっとあなたとこうして笑っていられたらって。どうして楽しい時間は飛ぶように過ぎてしまうのだろうって……思いました。だから、また誘っていいですか? 今度は私が、あなたを喜ばせたいから」
「『誘ってくれますか?』じゃないところがルキナらしいね。うん、すごく楽しみにしてるよ。あ、でも待ちきれずに僕から誘っちゃうかも」
「ふふっ、アズールったら」
笑うルキナはやっぱり嬉しそうで、つられて笑った僕の心もあたたかくなった。
どちらからともなく、僕たちは幸せの余韻を残して腰を上げた。さあ、帰ろうかと締めくくる前に、僕はひとつ、彼女に大事なことを告げることにする。
すでに馴染んできた髪飾りを見、ルキナの髪をそっと撫でると、彼女の柔らかな頬に口づけを落とす。そうして僕は、赤くなった彼女に笑ってこう言った。
「僕はね、ルキナにいつだって笑っていて欲しいんだ。そのためなら僕の時間を君にあげる。……だって僕は、君の笑顔が大好きだから!」
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