自慢の一息で目の前の屍兵を葬ったノノは竜からあどけない少女へと変じたが、その顔いっぱいに不満をたたえていた。その理由は先ほどまで対峙していた醜い侵略者とはなんら関わりなく、むしろ普段は共にあるはずの、今ここにいないパートナーのほうにあった。
「グレゴ……」
その名を呟く彼女の脳裏に、ほんの少し前の場面が蘇る。それは今回の屍兵討伐戦が始まる前の準備時間の出来事だった。
ノノはグレゴの姿を探していた。彼と一緒に出陣しようと思い、誘うつもりだったのだ。 ふと、天幕の間の広場に差し掛かったところで歓声が聞こえ、ノノは足を止めた。
「あれ? ひとがたくさんあつまってる」
好奇心から近づいてみると、何やら人だかりができている。最後列の男と男の隙間から小さなノノが覗くようにしてみると、軽やかに舞うオリヴィエの姿が見えた。どうやら皆、彼女の鼓舞の舞を見るために集まっているらしかった。
「わあぁ……」
ノノもオリヴィエの踊りは好きだ。彼女が舞うたび身に着けた衣がふわりと踊る感じや、風が木の葉を舞い上がらせるように軽やかに滑るその動きは、見ていてわくわくさせてくれる。すでに踊りは終盤だったらしく、ノノが見始めて間もないうちにオリヴィエは舞うのをやめ、終わりの合図にペコリとお辞儀をした。その途端、割れんばかりの拍手がわき起こった。
「今日も最高だね!」だの、「オリヴィエさん素敵だー!」だの。拍手の海からたくさんの賛辞が飛びはねる。向かう先のオリヴィエは、顔を真っ赤にして今にも茹で上がってしまいそうだ。そんな中、ノノは聞き間違えようのない声を聞いた。
「いやー、やっぱり美人のねえちゃんの踊りはサマになるな」
え? と思い、ノノは声の方を見る。彼女が覗き見ていた場所よりもう少し前の方、人々の間に彼女が探していた男の姿が見えた。チラリと見えた横顔は楽しそうで、使い込まれた武骨な手は拍手を送っている。
その姿を見た途端、ノノの中にさっきまであったはずの楽しい気持ちはどこかに飛んでいってしまった。胸のあたりがむかむかもやもやして、なんだかとても嫌な気分だ。とても声をかける気にはなれず、彼女は本来の目的を置いてけぼりにしてその場をそっと立ち去った。その後、別の場所で再会したグレゴが「今日も一緒に行くか」と声を掛けてきても、ノノは「グレゴなんていなくても大丈夫だもん!」と突っぱねて出陣したのだった。
「わるいのはグレゴだもん! ノノにはあんなこと言わないのに! でも……グレゴ、びっくりした顔してた……」
最後の彼の表情を思い出して、ノノはちくりと胸が痛むのを感じる。あんなことを言ってしまって、もしかして嫌われたのではないか。そんな不安がすっと彼女の頭を横切った、その時。
「グガァアァア!!」
「ひっ!?」
ノノの頭上に不快な声が降る。反射的に見上げるとすぐそばまで剣を振りかざした屍兵が迫っていた。竜石を掲げている間に、彼女の小さな体は真っ二つになるだろう。そんなわずかな距離で、生身の彼女が身を守る術はない。
ノノ、死んじゃうんだ。大事なグレゴにおわかれを言えないまま。恐怖と後悔がないまぜになって震える彼女に、後ろから新たな声が飛んだ。
「ノノッ!! 今すぐ伏せろ!!」
「ッ、ふぎゅっ!」
ノノが言葉を頼りに力いっぱい地に伏せると、ごうっと音を立てて彼女の頭上を何かが通り過ぎた。鈍い音、それからさっきよりもっと不快な悲鳴、最後に重たいものが地面に倒れる音。それらを聞き終えて彼女が身を起こすと、通り過ぎたものが何だったのかすぐにわかった。使い込まれた手斧が、動かなくなった屍兵の脳天に深々と突き刺さっていた。
それを投げた救いの声の主については、見ずとも彼女にはよくわかっている。
「ふぃー危なかったぜ。おいおいノノ、まーた竜石どっかに失くしちまったのか?」
「ち、ちがうよ! ノノ、ちゃんと持ってるもん!」
「だったらいつでも使えるように周りをちゃんと見とけ。一人の時は特にな」
「う……ごめんなさい」
「まあ、とりあえずこのあたりはもう大丈夫だ」
グレゴが刺さったままの手斧を引き抜くと、屍兵は禍々しいモヤを発して消滅した。だが、ノノの胸にすくうモヤのほうはいまだ消えずに漂ったままだ。
「ノノ、今日はどうした? いつもは一緒に行こうって言うだろ? それにずいぶんぼんやりしてるみたいじゃねえか。いくらマムクートでも、戦場でボサッとしてると危ないだろうが」
「それは……グレゴが」
「俺が?」
「っ、グレゴのせいだもん!」
「はぁあ?」
ノノが頬を膨らませて憤慨すると、グレゴは素っ頓狂な声をあげた。唐突に矛先が向けられたものだから驚いたらしかった。そんなことはお構いなしにノノはありったけの不満を彼にぶつける。
「ノノはグレゴのこと探してたのに、グレゴはオリヴィエの踊りを見て楽しそうだし! それにノノ、グレゴに美人だって言われたことない!」
「ちょ、ちょっと待て! それって出陣前のこと、だよな? お前もあの場にいたのか?」
「たまたま見つけたの!」
ノノが一気にまくしたてるのを聞いて困惑したグレゴは、軽く息を吐いて短い髪をガシガシとかく。
「あのな……俺も偶然通りかかって見てただけで、だいたいあれは単なる褒め言葉だろうが。お前がそんなに気にするなんてなぁ……参ったもんだ」
「じゃあノノにも美人だって言ってよ」
「うーん、お前は美人というか、かわいいほうだろ……って、何言わせんだ! 恥ずかしいだろうが!」
きまりが悪そうにグレゴがそっぽを向くと、ノノは納得いかないようで腰に手をあて頬をぷくりと膨らませた。グッと力のこもった眉が不満をあらわにしている。
「むぅぅぅ……オリヴィエのことはほめるのに、ノノのことはおばああああさんとか言うし。ノノ知ってる、こういうの『うわき』って言うんだよ!」
「なっ?! 浮気じゃねえよ! 誰からそんな言葉聞いたんだ?!」
「ルフレから」
「あ、あいつ……いらんことまで教えるなよ」
ノノは軍師であるルフレと仲が良く、いろいろ教えてもらってはそれをグレゴに披露しに来るのだが、たまに不要な知識(だと彼が思う事)まで教わっているらしかった。
グレゴが、今度は深々とため息をついて彼女のほうに向き直る。
「あのな、ノノ」
「なに?」
「オリヴィエのことは確かに誉めたけどな、俺はお前以上に大事なもんなんてねぇよ。そりゃ……お前ももっと大きくなれば、その、美人になるんじゃねえか」
まあ、俺が見届けるにはちょっとばかし時間が足りねえだろうが。そんな、どこか自嘲の色を含んだグレゴの言葉は呟くようなもので、ノノには届かなかったらしい。彼女は特に何の反論もせず、ただその不満げだった表情から力を抜いた。
「……ほんと?」
「いい男は嘘なんてつかねぇよ。少なくとも、俺はお前の中身が好きだから指輪を贈ったんだ。だからそんなこと気にすんな。それより俺はお前が戦場で一人ふらふらしてることのほうがよっぽど気がかりだ。俺が嫌ならそれでもいいから、とにかく誰かと一緒に行動しとけ。心臓がいくつあっても足りねえよ」
「グレゴ……」
ノノの頭をグレゴはわしゃわしゃと撫で回した。自分を守ってくれた大きな手にされるがまま、ノノは彼を見上げる。グレゴの目はやさしく彼女を見ていて、彼が心配しているというのは嘘じゃないと思った。
そのあたたかな眼差しと頭を撫でる大きな手から、自分を大切にしてくれている気持ちが伝わってくるような気がして、ノノは胸の奥に浮かんでいたモヤがすっと晴れるのを感じた。晴れてしまえば何ということはない、むしろどうしてそんなに気にしていたんだろうという気になってくる。
「じゃあノノ、やっぱりグレゴと一緒にいる。ずっとずーっと、一緒にいる!」
「なんだ、もう許してくれたのか?」
意外そうにグレゴが尋ねたので、ノノは胸を張って答える。
「だってノノが一番大事って言ってくれたもん。でもこれからはノノのこと、もっといーっぱいほめてね! そしたら許したげる」
「はは、そうくるか! まぁ、ほどほどにな。……ああ、ひとつ誉められること思いついたぜ」
「なになに?」
期待の光がノノの目に宿る。
「ドラゴンの時のお前、なかなか迫力あってカッコイイぞ」
「もー! そういうのじゃないよ!」
ノノが不服そうに頬をふくらませて文句を言うと、グレゴはにやりと口元をゆがませて楽しそうに笑ったのだった。
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