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かわいいひと

 穏やかな陽気の午後、俺はルフレから軍の動かし方について教わっていた。軍師はルフレに一任しているものの、将という立場にある以上ある程度俺も知っておく必要があると考えたからだ。
 俺たちは天幕の中、机の上に架空の戦場図を広げて、その上で将や兵に見立てたコマを動かし合う。

「……なるほど。それならここは守りの固いグレートナイトやアーマーナイトを前に出して盾にしよう」

 役割を担うコマをずい、と山合いの地形に進める。向かい合う敵方(ルフレの側だ)の前線には剣士とソシアルナイトのコマが数個。

「剣士に対して防御に優れ、優位な槍を扱える兵を配置するのは正解です。剣と槍を得意とするソシアルナイトに対する処置としても正解ですね。ただ、今回はひとつ致命的な問題があります」
「何だ、ルフレ?」
「背後に回ったドラゴンナイトを失念していた点です」

 そう言っていつの間にか俺の軍の背後に配置していた2体のドラゴンナイトをひょい、と持ち上げると一気に距離を詰めた。こつん、と音を立てて置かれた場所は主将(現実で言うなら俺の立場だ)の真隣。

「い、いつの間に」
「目につきやすい中心地で大きく兵を動かせば、静かに外側を進む兵は目につきにくいものです。現実にも、目先の戦場の派手さに目を囚われて気が付けば挟み撃ち……ということは有り得る話ですよ。残念ながらチェックメイトですね」
「しかし、俺のファルシオンならドラゴンナイトに対して優位に戦えるはずだ。まだ負けと決まった訳じゃないだろう」
「クロムさん……確かにクロムさんなら返り討ちにできるかもしれませんが、この主将はクロムさんじゃないんですよ……。仮に武器が優位だとしても、手斧で遠距離から攻撃されれば反撃のしようがありません」
「む……そういうものなのか」
「今は仮のお話、いわばゲームみたいなものですから。そういうものなんです」
「そうか。つい現実の感覚で全てのコマを見てしまっていた」
「そうやって兵を大事に扱うのは、一軍の将としてとても素晴らしいことなんですけどね」

 そう言ってルフレは困ったように笑った。
 それから俺の隣に並び立つと、今回の一戦での良かった点、反省点を俺に教えてくれる。

「ここは前よりずっと良くなりました。あと、この時の動きなんですが……」

 落ち着いて、冷静に、ひとつずつ丁寧に。ルフレの言うことはどれも納得のできる内容だった。そういう見方もあるのか、と気付かされることも多い。
 いま俺の隣に立ってテキパキと手を動かしているのは、紛れもなく一軍を取り仕切る軍師だ。迷いのない言葉は俺が聞いても頼もしく、皆が彼女に任せれば安心だと思う気持ちはよくわかる。
 少しでも彼女の負担を減らしてやれればと思いこうしているのだが、俺が助けになれるのはまだまだ先のようだ。少し悔しいが、人には誰しも向き不向きというものがある。

「例えばドラゴンナイトがここにいたとき、どう兵を動かせば……ひああっ?!」
「な、なんだ?!」

 いきなりルフレがあられもない声を上げたので、どきりとして思わず手に持ったコマを取り落としてしまった。慌てて振り向くと、彼女は両耳をふさぎ肩をすくめて縮こまっていた。

「い、いま、すごい羽音が耳元で……ぞわってして……っ」
「羽音?」

 何も聞こえなかった俺には、ルフレの言っていることが今ひとつわからない。首をかしげた直後に彼女はまた素っ頓狂な声をあげた。

「うひょあああ!? い、いやああ!!」
「うおおっ!? お、おいルフレ!?」

 俺まで間抜けな声をあげたのには理由がある。というか、これで慌てないほうがおかしい。隣に立っていたはずのルフレが悲鳴をあげるなり、俺のマントの内側、つまり背中にぴったりとくっついて隠れてしまったからだ。
 止める間もなく滑り込んできたものだから、状況を理解するのと同時に彼女の感触が直接体に訴えてきてどぎまぎする。

「お、おまえなにをしてるんだ?! いきなりどうした?!」
「む、むむ」
「む?」
「む、むしが……大きな虫が、とっ、とんでるんです……っ!」
「……虫?」

 その一言でだいぶ心が静まった。
 虫。ルフレがこんな奇行に走った理由は、大きな虫。思いもよらない伏兵の姿は、落ち着いて探してみると確かに天幕の天井あたりを元気に飛んでいる。黒い塊に見えるソレは確かにやや大きいが、俺にとっては取るに足らないものにしか見えない。

「確かにいるが。ルフレ、お前……もしかして、アレが怖いのか?」
「こ、こわいというか気持ち悪いというか……に、苦手なんです、大きい虫」
「屍兵は平気で斬れるのにか?」
「屍兵とアレは全然別物ですよッ!」
「俺にはむしろ屍兵のほうが、気持ち悪い存在ではないかと思えるが」
「お、女の子の心は複雑なんです! ひうぅ、ブンブンいってます……っ!」

 抗議するルフレは、俺にはよく聞こえない音まで聞き取っているようだ。よほど怯えているらしく俺の腰にぎゅううっと抱きついてくる。

(女心というものはよくわからん……が、この状況はちょっとまずいな)

 男の俺には理解しがたい感覚に呆れつつも、男だからこそ、俺の身には(俺にとっては)それ以上の問題が起きていた。
 ふたりきりの天幕で、想いを通わせ合った愛しい人が、俺の腰に精一杯体を密着させて抱きついているのだ。おそらく無意識だろうが、身を屈めて小さくなったルフレは頬までぴたりと俺にくっつけていて、衣服越しでもその感触はわかる。
 俺だけを頼みにその身の全てを預けてくれている、というのは何とも言えず嬉しいもので、どうしようもなく可愛いと感じてしまう。だが、同時にどうしようもなくツラい状況でもあったのだ。
 落ち着かない。ちら、と下を向くとルフレは泣きそうな顔をしていた。ますます落ち着かなくなってくる。彼女が抱きついているのが腰、というのも問題だ。胸がドキドキしてやまない。腹の底の方から熱い何かがせり上がってくるような感じがして、背筋がゾワっとする。
 このままでは「ちょっとまずい」では済まなくなるので、俺は努めて落ち着かせた声でルフレに言う。

「お、おいルフレ。何とかしてやるから、出来れば離れてくれ……」
「で、できれば離れたくないんですけど……」
「……し、仕方ないな。じゃあちょっと動くぞ」

 普段とはまるで違う震えた声でこんな風に懇願されては、無理に引き剥がすなどできるわけがない。観念して、俺は非常に歩きにくいと思いつつなんとか天幕の入り口までルフレと一緒に近づくと、小さく開いていた幕を大きく開き直した。もちろん、こんな姿を誰にも見せるわけにはいかないので、俺たちの姿は見えないようにして。
 外からの風が大きく入ってきて、天幕の中を洗うように撫でていく。差し込む陽の光も暖かだ。俺たちの心など何も知らない気ままな虫は、しばらくふらふらと幕にぶつかったりして飛び回っていたが、やがて風と光に誘われるように開け放った入り口から外へと飛び出していった。それを見届けて、逆戻りしないように素早く閉める。
 とんだ珍事件が収束したのを見て、俺は大きく息を吐いた。

「ルフレ、もう大丈夫だ。いま外へ逃した」
「ほ、ほんとですか?」
「嘘をついてどうする」

 俺の言葉を受けてきょろきょろと辺りを確認したルフレは、安心したようでおずおずと俺の腰から体を離し、マントの外へと姿を現した。俺も本当の意味でようやく安心する。それなのにほんの少し物寂しい気がしたのは、気のせいだと自分に言い聞かせた。

「ふぅ……す、すみません。ありがとうございました、クロムさん」
「いや、まあいいんだが……」

 ルフレが気まずそうに頭を下げる。むくりと首をもたげた一つの疑念があって、俺は言葉を続けた。

「ルフレ、お前まさか……虫から逃げるたび、誰彼かまわずこうやってしがみついてるんじゃないだろうな?」

 たとえばソール、たとえばフレデリク。身近にいる仲間を思い浮かべて当てはめてみれば、ムっとして気分がよくない。リズだと、微笑ましいというか滑稽で済むのだが。
 気持ちが表情に出てしまったのか、ルフレはとんでもないという顔で首を振った。

「そ、そんなわけないじゃないですか!! クロムさんだったから思わず……」

 言って、ルフレはハッと目を見開くと両手で口を覆って頬を赤らめた。それから気まずそうな目で俺を見る。その仕草が何とも言えず可愛らしい。

「そ、そうか……俺だから、か。はは、思いがけないところでお前に頼られたな」

 無性に嬉しくなって、つい笑みがこぼれた。どうやら彼女のために、俺にしかしてやれないことがあるらしい。そのことが心をあたたかくする。

「……今のこと、誰にも言わないで下さいね」
「さあ、どうしようか?」
「クロムさん!」

 おずおずと言うから、からかってみればルフレは怒ったように名前を呼ぶ。

「冗談だ。誰にも言わないさ」

 なだめるように言うと、ルフレはとりあえず納得したようだった。もちろん、俺には最初から誰にも言いふらす気なんてないのだが。

「……どうします? 続き、やりましょうか?」

 気まずそうにルフレが指差す先には、机の上で放置されたままの戦場が大人しく待っている。何をどこまで聞いていたかなんて、もうすっかり忘れてしまった。

「いや、しばらく休憩してからにしよう。少し話しでもしないか? たとえば、お前の苦手なものの話とか」
「もう……クロムさん、案外根に持つんですね」
「そんなことはない。お前のことをもっと知りたいだけだよ」

 小さく頬を膨らませたルフレに、俺は笑ってそう言った。
 皆に慕われ頼られる優秀な軍師殿の意外な一面を、あえて皆に教えてやる必要はない。ふとしたときに見せるはにかんだ笑顔や、くちづけた時の色づいた頬の朱だって、俺だけ知っていればそれでいい。彼女にとっては恥ずかしいだけの行動だって、俺にとってはそれ以上の意味を持つのだから。



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* 最終更新履歴 * 2012.05.30. *
恋にありがちな20のできごと
5.小さなことに見出す幸せ

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