2.恋と乙女

 リズさんに連れられてマリアベルさんの天幕を訪ねると、彼女はすでに茶会の準備を終えてにこやかに私たちを迎えてくれた。テーブルにはティーセットと、焼き菓子をのせた可愛らしいお皿(ガイアさんが見たら目の色を変えそうだ)がセッティングされていて、女の子らしいやわらかで華やかな雰囲気が漂う。可愛らしい二人の服装も相まって、対照的に地味なローブ姿の私は場違いなのではとたじろぐくらいだ。でも、そんなことは気にも留めない様子でリズさんは私に席を勧めてくれ、マリアベルさんは紅茶を淹れ始めた。彼女の流れるような優雅な手つきで、真白いティーセットは見る間に琥珀色の液体で満たされ、天幕の中には何とも良い香りが広がっていく。

「さぁ、入りましたわ。どうぞ、お口に合えばよいのですけれど」
「ありがとうございます。頂きます」

 勧められるままにカップを受け取り、淹れたての紅茶を一口すすると肩の力が抜けて安堵感が広がった。なんだか全身がほぐされるようだ。私がぽろりと「おいしい…」とこぼせば、「それは良かったですわ」と満足げにマリアベルさんは微笑んだ。
 そうしてしばらく私たちは紅茶の香りと味を楽しみ、ぽつぽつと雑談に花を咲かせ始めた。お茶の好み、仲間のはなし、身の回りのこと……そんな他愛のない話に盛り上がって笑いあえば、行軍中の陣中とは思えないほど穏やかで楽しい時間が過ぎていく。クロムさんのことでもやもやとしていた気持ちも、いつの間にか忘れかけていた。
 そんな中、一つの話題の区切り目にマリアベルさんが切り出した。

「勘違いから生じる恋は長続きしない、というのは本当なのかしら?」
「ええっ、どうしたのマリアベル? もしかして好きな人が出来たの?!」

 あまりにも唐突すぎたせいか、リズさんが驚きと興味半分ずつくらいの声を上げた。当のマリアベルさんはというと、思った以上の反応だったのか座ったまま少し身を引いている。私は私で、驚いてマリアベルさんを見つめる反面、忘れかけていたクロムさんのことを思い出してしまい複雑な気分になった。

「い、いえ……そういうわけではないんですけれど。普通、相手の殿方を好きだからドキドキするものですわよね? それの逆で、ドキドキするから好きなのだと勘違いして、それが恋に発展すると長続きしないものだと……そういう話を聞いたものですから。ちょっと気になっただけですわ」
「あ、それなら私も聞いたことがあります。興奮状態にある状況だと相手に好意を抱いているせいでドキドキするんだと勘違いしやすいってこと、です……よ、ね」

 自分で話に乗っておきながら、私はなんだかとても嫌な予感がして言葉を濁す。
 この話……私には、思い当たる節があるような。例として挙げられるくらい、当てはまりそうな出来事が最近あったのではないか。これ以上考えるのはやめておいたほうがいい、と警報が鳴っているのにこんな時ばかりはよく働いてくれる頭なのだ。
 そういえば私、最初は女だと認識すらされていなかったんですよね。偶然裸を見たせいで気が動転して、それで……勘違い、されただけだとしたら? そのことに今頃気付いてどうしたものかと悩んでいるのだとしたら。ああ、不毛だとわかっているのに負へと向かう思考は勢いよく転がってくれる。
 幸いなことに、落ち込みはじめた私には気付いていない様子でリズさんは興味深そうにマリアベルさんと会話を続けている。

「へー。そんなことあるんだね。それじゃあ、長続きしないっていうのは冷静になったら勘違いしてることに気付いて冷めちゃうってことなのかな?」
「まあ、そういうことなのかもしれませんわね。詳しくは私も知りませんの」
「うーん……なんだか寂しいような、むなしいような。あっ、でも逆に言えば落ち着いてからでもやっぱり好きって思えたら、それって本当に恋してるってことなのかも?」
「そう、かもしれませんわ。むしろ、そうであって欲しいような」
「ふふふ〜。やっぱりマリアベル、気になる人がいるんだ? もしかして戦場で助けてもらった人とか?」

 リズさんの言葉は的を射ていたのかもしれない。かぁっと頬を赤らめたマリアベルさんは、一瞬うろたえたのち白状するように呟いた。

「! そ、それは……わ、私にもまだよくわからなくて。だから、この気持ちが本当なのかどうかわかったら……お話ししますわ。ただの勘違いだったりしたら、なんだか悲しい気がしますもの」
「そっか、わかったよ。楽しみにしてるね」
「そうですね……本当の気持ちだといいですね」

 今の私にはそう言うのが精一杯で、それ以外にうまく言葉が見つけられなかった。
 それから程なくしてお茶会は終了し、是非またこうして過ごしましょうと約束を交わして私たちは解散した。一人になった私はこの後足を向ける方向に一瞬迷う。クロムさんの元へ行こうかと思ったからだ。でも、行ってどうする、何を尋ねる、そんなことを考えると足がすくんでしまう。
 自分の気持ちは勘違いなんかじゃない。だって、一度受け取ったあの好意を失うかもしれないと思うだけで、こんなにも怖いのだ。通じ合えていないような、そんな気がするだけで胸がぎゅっと締め付けられて、どうしようもなく寂しくなるのだ。夢から醒めれば失ってしまうような想いならば、きっとこんなに不安になんてならない。

「それだけ……好きに、なってたんですね」

 呟けばほんの少し視界が滲んだ。それを誤魔化すようにゴシゴシとローブの袖で拭うと、やっぱりちゃんとクロムさんと話をしようと私は決心した。
 それなのに、物事というものは望めば望むほど上手くいかないことがある。結局その日はクロムさんと二人で話せる機会は訪れず、私がようやく彼を捕まえられたのは次の日の午後になってからのことだった。


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ムク / 2012年5月10日
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